私が、初めて観た映画は、保育園で
「ネコは生きている」という
原爆投下で、ネコをかばって人間は死に
タイトル通り、ネコだけが生き延びるという映画だった
この映像は、今でも脳裏に焼き付いている
育った島には、当時、まだ、防空壕があった
その防空壕は、とても大きくて、トンネルのようで
暗い奥に、白いものがコロンと転がっていて
姉たちと、あれは、きっと白骨化したんだよと話してた
防空壕の前を通るたびに
逃げ入る人々を想像して怖かったのを覚えている
お婆ちゃんに、防空頭巾を見せてもらったことも微かな記憶にある
小学生の中学年頃までは
飛行機の音がすると、原爆を落とされるのでは、、と
家に、走って入る子どもだった
そして、大きくなり、これまで受けてきた教育が
一方向のものだったことに気づいた
それは、いいとか悪いとかではなく
そういうものだったということに、気がついた
どの視点で、どの場面を強調して、どのように教育するかで
当然ながら、学ぶことは大きく異なる
海外で、外国人の友達から、日本はひどい加害者だったと非難された
「日本人と友達になるとは思わなかった」と、仲良くなった友達から言われた
中国を旅した時のバスで、中国人と日本人が
日本の過去に触れたことがきっかけで喧嘩になり
中国語で喧嘩する二人を横に
オロオロしながらただ傍にいることしかできなかった
日本は、過去から学ばない国だとも聞いた
海外へ行くと、自分の世界や思い込みを
思いもよらない形でバッサリ切り取られる
本当にありがたいことだ
カナダとアメリカを、バスで横断した時
若い女子(当時は:笑)が、ひとりで旅してると
沢山の地元の人々に声をかけられる
一言めか二言めかは、大抵、「どこから来たの?」と
最初に横断したカナダでは、さらっと流れる会話だったのが
アメリカに入った途端、私が、広島出身であることを伝えると
本当に多くの人が、家族は大丈夫だったか、今は家族はどうしてるのか、
申し訳ない気持ちだ・・などと言われた
思いもよらなかった人々からの声に、とてもびっくりした
また、やさしさが嬉しかった
同時に、原爆投下の正当性を主張する人々にも会ったり
日本が他国にした残虐な出来事も教えられた
すべて、その人にとっての真実である
被害者と加害者という視点でみれば
歴史の中でも、日常の出来事の中でも
私たちは、どちらにもなり得る可能性に溢れている
二度と過ちを繰り返さないよう
歴史から学びたいと思う
私が学生の頃は、広島市内に行くと
原爆にあわれたというのが、明らかにわかる方達もまだ多くおられた
手や脚のない方、ケロイド状の皮膚の方、、
私が高校の時、書道の先生は、顔半分(半身)の皮膚が
ケロイド状の方だった
先生は、私の字を、朱ペンでたっぷりと訂正する
「先生、私の字はダメですか?
みんなが先生の字の様に書かなくてもいいと思うんですけど〜
私の字を書けばいいんじゃないですか〜」なんて
生意気なことを言っていた(苦笑)
先生は、クスリと笑って
でも、顔が、ケロイドでひきつってられるので
笑ってるんだけど、悲しんでるようにも見える先生の笑顔
その、先生の笑顔を見るのが、とても好きだった
だから、毎回、生意気なことを言って
先生にクスリと笑ってもらうのを待っていた
一年間、週に一度しか会ってない先生だけど
一番、心に残っている先生の一人だ
そして、卒業して、先生は、平和活動家として有名な方だと聞いた
もっと、先生に、いろんな話を聞いておきたかった
先生だけでなく、祖父母や多くの方達にも
おばあちゃんやおじいちゃん、語り部さんからの言葉
「戦争は、絶対、繰り返したらいけんけぇね」
「あんな惨いことは、わしらだけで、十分じゃけんねぇ」
「平和な日常が、一番ええのぉ」
これらの言葉が、体中に沁み入る
広島に生まれて
今日は、とても、特別な日だ
私の真実として
あってはならない原爆が投下された日
そして、続く、長崎の原爆投下日、終戦日
暑い、暑すぎる夏だったという
地球人としての
平和への祈りとともに
合掌